お墓とは

「墓」の語源は「果てるところ」、「終焉(しゅうえん)の場所」といった意味から、「埋葬したところ」をあらわしています。もともと墓域を表示するためや死者の経歴や勲功を後世に残し伝えたりするために「墓」の上におかれた石標や石碑が、いつしか神仏と合体した死者の霊魂を祭祀し、崇敬礼拝する対象物である石塔に、移り変わっていきます。

今ではそうした築造物を含めて「墓」と表現するすることが多いようです。またお墓のことを石塔、供養塔(墓塔)などと呼びますが、塔はインド・サンスクリット語のストゥーパ(Stupa)をその語源とします。釈迦の没後遺体は火葬にされ、その舎利(遺骨)は釈迦の仏教を保護した8人の王に分けられ、この8人の王が建立した舎利塔がストゥーパです。聖徳太子の「法華義疏」(ほっけぎしょ)巻11には塔(塔婆)とは仏舎利(釈迦の遺骨)が納められたものをいうと説かれていますが、さらに広義に解されるようになり法舎利(釈迦が遺した教えである教典)を埋蔵するものも塔(塔婆)と呼ぶようになりました。

お墓を建てる時、写経や写仏したものを石塔に、納めたり、お墓に板塔婆を立てたりするのは、こうした故事にならい報恩供養を願ってのことです。
お墓の歴史

現在、三段重ねの和型と呼ばれる墓石を筆頭に五輪塔、洋型といった様々なお墓の様式が各地に見うけられます。今は、誰でも自由に好きな型のお墓を建てることができます。

しかし一般庶民が、今のように自由なお墓を建てられるようになったのは、明治維新以降のことで、それまでは五輪塔や宝篋印塔、宝塔、多宝塔、層塔などの本格的な塔形のお墓をつくることは、貴族や武家大名、その家族以外には許されなかったのです。庶民階級のお墓は、下級武士階級と同様に簡略な板碑(板石塔婆)、笠塔婆、石造りの小祠(先祖の霊を祀った小さな建物)などを建立したのでした。

歴史をさかのぼりますと、平安時代以降、天皇家をはじめ上流社会にあたる貴族などが、菩提を供養し崇敬礼拝の対象として塔形のお墓を建てるようになりました。
奈良時代から行われた、重層塔のほかに宝塔や五輪塔などが多数建立されています。

鎌倉時代になると、武家の間でも石塔を建てるようになり、従来の層塔、宝塔、多宝塔、五輪塔はもちろん、美しい宝篋印塔もたくさん建てられました。

明治以降、造塔に対する階級的差別がなくなり誰もが、どんな形式のお墓でも建立できるようになりました。


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1.新たにお墓を建てる時
2.いつお墓をたてたらよいか
3.お墓の向きについて
4.お墓を移転する時
5.お墓ができたら開眼法要